私は一人娘として育ちました。そして、それがずーっとイヤでイヤでたまらなかった。「一人っ子って、何でも思い通りで、ワガママにできていいよね!?」って言われることとか、「どうせ何にもできないんでしょ!?」って見られることとか。。。
実際、親に言いたいことはなかなか言えずなんです。言えば、居場所がなくなるから。親に反抗なんてしたら、居場所がなくなるから。
だから、しっかり者で頑張る自分を演じてきたところはあるのですが、実のところ、もっとイヤだったのはこっちかもしれない(;´Д`)
生きている私はダメって、4歳にして私は自己否定、自己の存在否定を覚えたのかもしれません。
こんにちは、黒江 香です。黒江香の黒歴史シリーズ、加筆修正しながら、あらたにUPしています。今回は、きょうだいについてです。
母と私です。
母は、綺麗、美人だと言われる人でして。。。
母に似なかった私は、どうせ、私は綺麗じゃない。美しくないって思っていました。
そして、今回のきょうだいのことで思い出すエピソードが、また、私は綺麗じゃないという思いをかなり強くしているのですΣ(゚д゚lll)ガーン
母から聞いた話しでは、流産やらを乗り越えて、3回目の妊娠にて、やっと抱くことができた我が子だそう。
そして、私が4歳のときに、母は妊娠。
そのころの母と、一緒に産婦人科の検診に行っていたのを覚えている。
で、このあと生まれた弟は、生まれたものの、直ぐに死んでしまう。
私が覚えているのは、母が病室で大泣きしていたこと。
この弟が亡くなった事実。このことが、この先、私の見捨てられ不安や孤独感を大いに形成するキッカケになったとお師匠さまに言われ、母に、弟が亡くなった時のことを聞く。というまぁ、過酷なミッションをもらったこともありました。
ミッション遂行については、別記事に書ければと思います。
そして、もうひとつ覚えていることは、
その後、毎月の祥月命日には、父が言う「早死にする子は、綺麗な顔しとった」という言葉。
その言葉は、ただそう思うという父の気持ちなだけなのに、
その手に抱くことができなかった、わが息子を思い、せめてきれいな顔だったというだけで、自分の気持ちを納得させようとしていただけかもしれないのに・・・
私の中で、「そっかぁ、生きているわたしは、綺麗やないんだ。」そんな思いを募らせることになる。
私は、綺麗とか、可愛いとは程遠い、子ども時代、学生時代を過ごすのよね・・・
そして、ますます、弟の分もがんばろう。
父の喜ぶ、こどもになろう。
私、こんなに頑張って生きてるよ!
そんなことを証明するかのような、人生を生きてきた気がする。
一人っ子は、いいよね、何でも買ってもらえて、ワガママいっぱいできて。という世間の目。そう言われることがとっても嫌だった。
それは、父親が望むこどもになろう。母親だ望む子供になろう。ってきっと必死だったから。
そりゃ、いろんなものを買ってもくれた。ワガママも言ったかもしれない。買ってとか、どこか連れて行ってみたいな類のことは・・・
でも、私は、それが欲しかったのではないので思う。
死んでしまった弟のように、ただそこに存在しただけで、あんなに愛される存在。
毎月、毎月、いや、毎日、毎日、そう思ってもらえるなんていいなって。
私もそうなりたい。
そんな風に思っていたのかもしれない。
私よりも、死んだ弟の方が、愛されている。
そして、どこかで、私も死んだ方が愛されるのかな?
死ぬほどまでに辛いことを経験すれば、お父さんからもっと愛されるのかな?
なんて思ってきたのかもしれない。
私は、子どもを持とうと思った。二人上の子供たちを。
私は、母になりたいと思った。
私は、美しい人になりたいって思った。
私は、美しく見える工夫をしようとした。
私は、心優しいひとでありたいと思った。
私は、その人が選べない環境やそういうことで、人のことを判断したり、どうこう思うのはしないと決めた。
このようなことかと思います。
次は、黒江香の黒歴史③ 私の男女像・夫婦像を創った、夫婦・男女としての両親について です。
これまでのお話し
黒江香の黒歴史① どんな両親のもとに生まれたのか。はこちらです。
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